「機織り」は渡来のもの?
「機織り」は、いつ始まったのだろう…。
「機織り」は渡来人の「秦氏」が日本にもたらしたとされています。
秦氏が日本に渡来したのは283年。
しかしその前の199年に、その秦氏の祖といわれる「功満王」という人物が日本へやってきているので、その時に「機織り」を伝えたのかもしれない。
…「魏志倭人伝」には、243年に、女王・卑弥呼が魏に絹織物を贈ったと書かれているそうです。
『魏志倭人伝』 魏志倭人伝は、中国の歴史書「 三国志 」中の〈魏書〉第30巻 烏丸鮮卑東夷伝 倭人条の略称 。邪馬台国とその女王卑弥呼について記されている。三世紀の日本の政情・風俗や地理などについて書かれており、当時の様子を知りうる唯一の文献。 魏志倭人伝の中では、《正始四年(243年)、倭王(卑弥呼)…倭錦(色糸を使った絹織物)…を上献す》と記されています。
原文は次の通り 其四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人上獻生口 倭錦絳靑縑緜衣帛布木?短弓矢 掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬
倭錦 ;日本で織った錦。日本風の文様のある錦。
絳靑縑 ;赤色と青色で合わせた糸で織った絹織物
緜衣 ;綿入れの服
帛布 ;麻・木綿などの布と絹織物
「赤色」と「青色」で合わせた糸で織った絹織物だったのですか…。
ここでもまた、「赤」と「青」なのですね(!)
…そうすると…「紫色」のような色合いの絹織物だったのでしょうか?
興味はつきません…。
それまでもカラムシなどの植物の繊維を使った織物はあったと思いますが、
卑弥呼の時代に、すでに絹織物をつくる技術が日本にあったのですね! 驚きました。
糸を染める技術もあったようですね。
絹というのは、とても繊細な糸です。
それを紡いで織る技術があるということは…相当な「機織り」の技術があったはずです。そしてその頃には…「桑」と「蚕」も日本にあったということです。
「蚕」というのは本当に不思議な生き物です。
家蚕は…飛べないのです。羽があるのに。まずそれが衝撃的でした。そして卵からかえった幼虫は桑の葉がなくなっても探しに行かないのです。逃げないのです。桑の葉がやってくるのをその場で待っているのです。完全に家畜化されているのです。そんな昆虫が他にいるでしょうか?
…だから相当古い時代から人間とともに生きてきたということがわかるのです。
野生本能を失うくらいの年月とは…どのくらいの時代の流れでしょうね。
気が遠くなりそうです。
神代からともに生きてきた…といわれても不思議でない感じがします。
日本の姫神さまには、ほとんど「機織り」が関わっています。
アマテラスも「機織り」をしています。
私が気になっている姫神たち…栲幡千千姫命(萬幡豊秋津師比売命)、木花咲耶姫、奴奈川姫、丹生都比売、瀬織津姫も…「機織り」をしていたとされます。
その姫神たちが織っていた織物は…カラムシなどの植物もそうですが…「絹織物」だったりしないでしょうか…。
その「機織り」の技術…もともと日本にあった…とは考えられないでしょうか?
その「機織り」の技術も魅力的で…さまざまな人たちが日本へとやってきた…。
なんとなく(いつも曖昧ですみません(泣))…私の探している「機織姫」は…渡来してきたのではなく…もともと日本に住んでいた「姫」だと思うのです…。
…だから…日本の姫神たちのほとんどは「機織り」に関わる神になっていて…日本の根幹の神となっているように思うのです。
中国の養蚕の神は「青衣神」というそうです。
…「青い姫」ともつながりそうに思うのは…都合が良すぎるでしょうか。
また中国の伝説では、絹の生産は紀元前3000年頃に黄帝の后・西陵氏が築いたとされているそうです。
…これまた「紀元前3000年頃」なのですね…。
あぁ…その頃…日本列島では…何があったのだろう…。