「鴨の姫」の物語
新しい年になりました。今年もこの「機織姫」を探す旅はつづきます(笑)
お正月は鎌倉に帰っていたのですが…伊豆山神社には行けませんでした(泣)
以前、このブログが始まった当初、教えていただいた資料館に行ってみたかったのですけれど…なかなか行く機会がつくれないです。すみません!
…まだ「時期が早い」ということなのでしょうか?(笑)
このあいだ、自分でこのブログを少し読み返してみました。
なんだか勝手なことつぶやいてますね(汗)
…でも…何かの方向にむかって行っているのがわかりました。それぞれつぶやいていることはさまざまで関係ないようにみえますが…。
わかる人には、わかるのではないでしょうか?
…そう思います。
なんだか最近、少しずつここに書けなくなってきています。
「書き過ぎてはいけない」…そんな感じがしています。
それはどうしてかというと…最後のところは、その本人が、自力でたどりつかなければいけないような感じなのです。
そうやってこれまでも…きている気がします。
必要な人に…伝わるようになっている…。そうではありませんか?
「鴨の姫」
…この人には、「兄」がいたのかもしれません。
でも「鴨の姫」のところに「入婿」がきている感じがします。
この「鴨の姫」は…なんとなくですよ…妄想話として聞いてくださいね。
一度日本を離れて(その時代に「日本」という概念があったかはわかりませんが…(汗)「日本列島」を離れて…)草原の場所に行っているような気がするのです。
私が催眠退行のときにみた風景の場所です。
中央アジアのあたりなのかな…と私は思っています。
そしてまた帰ってきているような気がします。
それは「鴨の姫」の「娘」のことなのだろうか…。もっともっと昔のことなのだろうか…。
一代の話しではつじつまが合わないので…その「青の系譜」の「女系」の流れのことなのだと思います。
「秦氏」と関わりがあるのは…その昔に、その中央アジアで繋がっているからだと思うのです。
「秦氏」を呼びに行ったのも…そういうずっと昔からの繋がりがあるからのような気がします。
「秦氏」に「機織り」を伝えたのは、昔むかし中央アジアに行った「鴨の姫」なのではないか…と、そんなことを私は思っています。
「秦氏」の忠実さをみていると…そんな感じがしてくるのです。
(そうか…「広隆寺」にある、私が好きな「弥勒菩薩半跏思惟像」。
きっと…「鴨の姫」の面影なのですね…)
「秦氏」を呼び寄せなければいけなかったというのは…その時代、何があったのでしょうか…。
「尾張(終わり)」の出来事がおこったのでしょうか?
もしかしたら…「鴨の姫」は「青」から「赤」に変わらなければならなかったのかもしれません…。