機織姫を探して…

今、私はひとりの姫を探しています。 その姫と…私は伊豆の山ですれ違ったようです。 …それからいろいろなことがつながり始めました…

「鯰王」と「目のない鯰」

久米寺について調べていたときに…久米寺には「鯰」の奉納絵馬が飾られていることを知りました。

 

なぜ「鯰」なのだろう…。

 

「鯰」というキーワードは、神代のことを調べているといろんなところに出てきます。

 

建御名方命の眷属は「鯰」。筑前の福間というところに残る伝承では、国譲りを迫る武甕槌命に破れた建御名方命が諏訪の湖まで追われると「大鯰」があらわれ、建御名方命を背にのせて対岸まで運んだとされる。

肥前国の與止日女(よどひめ)の眷属も「鯰」。

阿蘇の「大鯰」の話しもあります。健磐龍命(たけいわたつ)はこの「大鯰」を退治して、草部吉見命の娘、阿蘇都比売命を娶って阿蘇に土着した…。

 

そんな時、「鯰」の学名が「Silurus asotus」であると知りました。

「asotus」…「阿蘇」?

 

また古代エジプト初代王に「ナルメル」という王がいて、「ナル」=「鯰」そして「メル」=鑿(ノミ)。「荒れ狂うナマズ」という意味だそうで…。

ここでも「鯰」。

 

そして…久米寺のことを考えていたときに…

 

久米寺の創建は聖徳太子の弟の「来目皇子」とも言われていますが、この来目皇子は7歳の時に目の病に罹ってしまうのです。

その「目の病」というのが、とても私の中でひっかかったのです。

私の母も歳をとってからですが、目がみえなくなりました。そんな背景もあってでしょうか…。

卑弥呼は目がみえなかった」という説を述べているブログを読んだこともあります。それもなんとなく気になっていました。

 

いつのまにか「久米寺」「鯰」「目の病」…そんなキーワードが私の頭の中に並んでいて…

 

そしてそんな時に、「目のない鯰」というものがいるということを知ったのです。

 

それはメキシコにある「セノーテ」と呼ばれる石灰岩の陥没穴に地下水がたまった天然の井戸・泉にいるのです。マヤの言葉で「聖なる泉」。画像でみると青く澄んだ水がとても神秘的です。雨の神チャクが宿り、マヤ時代には生贄が捧げられていたともいわれます。

その泉に棲む「目のない鯰」。目がないというよりも退化していったようです。

 

…この「目のない鯰」のことを知ったときに…ああ、きっと「久米寺」「鯰」「目の病」から繋がるのは…このことだったのだろうと思ったのです。

 

…「マヤ文明」。

…そして「古代エジプト文明」。

 

それら文明が始まったのは紀元前3000年頃…。

 

うまくいえないのですが…

それら文明と…なぜか…久米寺のある橿原(明日香)の地が…

 

私のなかでは繋がる気がするのです…。