機織姫を探して…

今、私はひとりの姫を探しています。 その姫と…私は伊豆の山ですれ違ったようです。 …それからいろいろなことがつながり始めました…

「祝瓶山」から繋がった「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」の「岩上(がんじょう)」…そして「鴨のライン」

 

黒姫さんからコメントをいただいて…早く「祝瓶山」のことを調べたいなと思っていると…なんとまた、いろいろ繋がってきたのです。

まだその意味するところがまとまりませんが、興味深いので、

とりあえず記録します。業務連絡です(笑)

(ちょっと長くなりますが…)

 

祝瓶山」とその近くにあったという「奥三面遺跡」(縄文遺跡)。

ここはとても興味深くて…

特に、「奥三面遺跡」には早く現地へ行ってみたい(今はダムになっていますが…)と思っているのですが、そこへ行く道が昨年の大雨で土砂崩れとなり、まだ復旧工事が終わらないので、今も通行止めなのです(涙)

 

それでも、何か調べてみたいと…

祝瓶山」に登ってみるのがいいのかもしれませんが…地図をみていると、長井ダムの奥の木地山ダムのあたりから登山口があるらしいのですけれども…

 

そのダムのある場所は「祝瓶山」からの水が集まるところで…「三淵渓谷」という宮崎の高千穂峡のような美しい渓谷があるのです。

 

ここには「卯の花姫伝説」というものがあって…

その伝説とは…

前九年の役の頃、苦戦していた源義家は、奥羽・安部貞任の娘「卯の花姫」に近づき巧みな言葉で戦術を聞き出し攻め入った。父は討ち死にし悔やむ「卯の花姫」でしたが、軍勢は長井にも押しかけ、「卯の花姫」は朝日岩上の僧兵を頼り「祝瓶山」へ向かうが、三淵渓谷で身を投げた…

というお話です。

 

三淵渓谷には「祠」があって、ボートで行かないと参拝できないところなのですけれど…

 

その前九年の役の後、源義家が供養のため建てたのが、長井市にある「五所神社」。

(私が「青い玉」を拾った(受け取った)神社です…)

Wikipediaには

その後、再び出羽国を訪れた源義家は、寛治4年(1090年)当麻秀則を遣わし、祭地青木野に朝日岳大日霊貴命・月ヶ峰月読命・岩上別雷神・小朝日金山彦命・三渕建御名方命の五ヶ所の尊霊を移し合祭したのが朝日山五所大明神である。この時から地名も五祭所と改められ、一郷の産土氏神として奉斎し、当麻秀則に永く留まらせ、祠を守らせたとある。

と書かれています。

 

…ん? 

 

この文章は、前に調べていた時にも読んでいたと思うのですけれど…

朝日岳大日霊貴命・月ヶ峰月読命・岩上別雷神・小朝日金山彦命・三渕建御名方命の五ヶ所の尊霊を移し合祭したのが朝日山五所大明神である」

と書かれているではありませんか!!

 

あれあれ! 「岩上(祝瓶山)」は「別雷神」ですよ!!

 

そう…ここからなのです…

いろいろ繋がり出したのは…

 

 

「別雷神」といえば「賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)」ですね。

賀茂別雷命」といえば「賀茂別雷神社上賀茂神社)」です。

 

賀茂別雷神社上賀茂神社)」といえば…

昔、「北大路魯山人」を番組にしようとしていた時に、取材に行ったことがあります。

…そしてちょうど私のお腹に「長男」が宿った頃で、この上賀茂神社で「健やかに育ちますように」と安産を願ったことを思い出します。

 

…この「賀茂別雷神社上賀茂神社)」が「青い姫」に繋がっていくのか…と(以前ブログで「青い姫」は「鴨の姫」だということもわかりました…)

この神社について、また調べていると…

 

なんと!なんと!!

この「賀茂別雷神社上賀茂神社)」に「岩上」という場所があるのです!

 

この「岩上」は、「岩上(がんじょう)」と言うそうですが…

 

岩上(がんじょう)

賀茂祭葵祭)のときに宮司が勅使と対面し、御祭文に対して神の意志を伝える「返祝詞」(かえしののりと)を申す場所。

祭神が降臨した神山(こうやま・賀茂山)とともに賀茂信仰の原点。

古代祭祀の形を今に伝えている。

 

…こんな岩のある場所があったのですね。

「岩上(がんじょう)」と言うのですか…

葵祭」も関係し…驚きです。

 

「磐座」のようなところ…なのだと思い…

そうだと…きっと…この近くに「山」があるのではないか…

 

するとそこから北の方に「御生山(丸山)」という小さな山があって、そこが神事でも使われているそうだということで(…この山はゴルフ場のなかにあります(!)戦後、進駐軍にゴルフ場に開発されるなか、上賀茂神社は抵抗し、なんとかここだけ守ったそうです)

 

…地図で位置関係をみていると…

 

…あ!

 

そう…この「岩上(がんじょう)」から「御生山(丸山)」…

そしてその先をたどって行けば…

…「お水送り」の「鵜の瀬」にたどり着くではないですか!

 

 

そして…このラインが気になって…調べていくと…

あれ、あれ…

 

若狭姫神社/若狭彦神社/神宮寺/鵜の瀬(豊玉姫命彦火火出見彦)

 ↑

貴船山/貴船神社/鞍馬山高龗神)(毘沙門天)(源義経

 ↑

御生山(丸山)(賀茂別雷神社の御阿礼神事の山)

 ↑

賀茂別雷神社上賀茂神社)/岩上賀茂別雷大神)(葵祭

 ↑

清明神社(安倍晴明

 ↑

二条城(足利尊氏織田信長豊臣秀吉徳川家康

 ↑

東寺(桓武天皇嵯峨天皇空海

 ↑

朱智神社(迦爾米雷王命・須佐之男命・天照國照彦火明命・山代之大筒木真若王)

 ↑    (息長氏の根拠地)(3面の牛頭天皇像)(祇園祭の元)

 ↑

松尾寺(天武天皇の皇子・舎人親王の厄除けの願)

 ↑

龍田神社(龍田比古大神・龍田比売大神)(法隆寺の鎮守社)

 ↑

鴨山口神社(大山祇命

 ↑

葛城一言主神社(葛城一言主大神)(蜘蛛塚)

 ↑

高鴨神社(阿治須岐速雄命[迦毛大御神]・下照姫)

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なんと!

こんな感じで、ライン上にきれいに並んでいるのがわかったのです。

 

これまでこのブログに書いてきた

「鴨」「龍田」「土蜘蛛」「葵(「阿」「尾」「伊」)」「岩(磐・巌・伊和・伊波)」「息長」「義経」「東大寺二月堂のお水取り(お水送り)」…

…などなど、すべてが一同に、揃いにそろっていて…驚きました。

 

この「ライン」、きっと何かありますね(笑)

 

 

そしてこれらが…

「奥三面遺跡(縄文遺跡)」の「祝瓶山」から繋がっていったことも…

…とても「意味」があるような…気がしています。

 

今までブログを書いてきて…断片と思っていたことが…

本当に繋がっているようです…

 

自分でも驚きました。

…なるほど…

だんだんと…わかってきましたよ。

(もう一度、この機会に、

ブログ記事を初めから読み直してもらえると…とてもよくわかると思いますよ^^)

 

 

祝瓶山(岩上山)」は「別雷神」。

賀茂別雷神社上賀茂神社)」にも「岩上」があった…

 

そして…その北にある「御生山(丸山)」

今回、私は初めてその山を知りましたが…

この小さな山も、とても気になります。

…ここは…とても大切なところ…なのだと…思います。

 

「青い姫(イワヒメ)」にとっても…大切な…ところ。

 

…よく進駐軍の開発から守ったと思います。

 

 

祝瓶山」は…「岩上」…

そして…「磐神」「巌神」…「伊和神」「伊波神」…

 

「青い姫」は「イワヒメ」…そして「鴨の姫」

 

…「葵」は「青い」…「「阿」「尾」 「伊」」

 

尾張」は「尾張(尾から糸を張る)(尾有り)」で「土蜘蛛」

…そして「終わり」

 

「阿」と「伊」の出逢いがあって…

そして「尾」ができた…

 

…でも…

…「尾」は「終わり(隠された)」なのだと…思うのです。

 

 

「緑(青)」→「水」→「紅(赤)」

 

 

これまでのいろいろな暗示が…

きっと…この「岩上」から繋がった「ライン」からも…

解かれていくような気がしています…。