「忍坂」の「土蜘蛛」は「尾張」そして「額田」「都祁」「阿修羅」「息長」…
世の中の大きなうねりを感じています。
これがどうなるのかわからないけれど…こんな時こそ自分が試されているようで…
大丈夫。
どんなことがあっても乗り越えて行けるはず。
学びたいのは「縄文」。
「青い姫」を取り巻く時代に、きっと…生き抜くヒントがある…
ちょっと、また、とりとめもなく書きますが…
「祝瓶山」のことを意識しながらも…なぜか気になる場所があります。
以前にも書いた「大和川の源流」の場所。
この辺りは、私の「思い出」の場所。そして「気になる」場所。
…それから30年以上、時が経っているのに…今でもその辺りの空間の「感覚」を身体が覚えているようです。
最近、私は「ロボット」関連のことにも関わっているのですが…
「オリィ」というロボットを作っている吉藤さんという方の本を読んでいた時に、彼が奈良の「葛城」で育っていて、橿原の図書館に通っていたり、野外活動センターというキャンプができる場所で活動員をされていたという話が出てきて…とても懐かしかったのです。
図書館は、今は違う場所に建て直されたようですが…私の頃は、確か陸上競技場のトラックの近くにあって、とても歴史的な建物で素敵な空間だったのですけれど…今でも保存されているといいなと思います。
野外活動センター。…そう、ここも私の思い出の中にあります。
奈良に住んでいると、きっと小学生の頃に宿泊学習や地域のレクリエーションで一度や二度はここに来ている…そんなところです。
私は…キャンプが好きだったということもありますが…ここに来るといつもワクワクしていたのです。緑の森のなかに囲まれ…そう…「私はこの場所が好き」。
オリィの吉藤さんも…この野外活動センターでの活動が…自分の気持ちに変化を与え、その後の自分を作り出していったようです。
…そう…このあたりの「森」はきっと「魂につながる場所」。
その野外活動センターがあるのが、「大和川の源流」の近く。
都祁吐山町。
三輪山の裏一帯に広がる場所…ここが気になる。
この辺りの「森」には…何があるのだろう…
昔、ここは「闘鶏国(つげのくに)」というところだったそうです。
そして後に「都祁(つげ)」。
…ここと…何か、つながっていくのだろうか…
史実がどうなっているのかわからないけれど…
つじつまが合わないかもしれないけれど…
このブログを、私は「直観」「直感」で書いています。
…ちょっと文章がまとまらない。
でも、なぜか今、早く、書いた方がいいような気がしていて…
羅列になり、話が飛ぶところもあるけれど、
書いてみますね…
桜井市の「忍坂」は…「都祁」とは少し離れているけれど…
以前、「土蜘蛛の糸」をブログに書いた時に、
「尾張」は「尾」から(糸を)「張る」ので「土蜘蛛」なのだ…と書きましたが、
土蜘蛛の中でも、奈良県の大和葛城山にいたというものは特に知られている。大和葛城山の葛城一言主神社には土蜘蛛塚という小さな塚があるが、これは神武天皇が土蜘蛛を捕え、彼らの怨念が復活しないように頭、胴、足と別々に埋めた跡といわれる[5]
大和国(現奈良県)の土蜘蛛の外見で特徴的なのは、他国の記述と違い、有尾人として描かれていることにもある。『日本書紀』では、吉野首(よしののおふと)らの始祖を「光りて尾あり」と記し、吉野の国樔(くず)らの始祖を「尾ありて磐石(いわ)をおしわけてきたれり」と述べ、大和の先住民を、人にして人に非ずとする表現を用いている。『古事記』においても、忍坂(おさか・現桜井市)の人々を「尾の生えた土雲」と記している点で共通している。
この「有尾人」のところがひっかかり…
「有尾人」→「尾有り」→「尾張」
なのでは…ないか?…と。
そんな思いも…ずっと私の心に…あるのです。
桜井の「忍坂」にいる「尾の生えた土雲(土蜘蛛)」は「尾張」…
「忍坂」というと…私には…なぜか…「額田」が重なる…
「土蜘蛛」は「糸」…「伊都」「伊豆」…
興福寺の「阿修羅」像。
「土蜘蛛」というと…私はなぜかこの「阿修羅」像を思い浮かべる。
あの…憂いのある表情。
そう…この「憂い」。
「青い姫」の謎が解ければ…きっと…この「憂い」の理由もわかる…のだろう。
以前、ブログに、私が幼い時に祖父母の家を往復するときに、「都祁」のあたりの道を通っていた時の思い出として、
…そしていつも…車に揺られながら…
確か途中に、道が分かれるところがあるのです。
橿原の家に向かうにはその道は通らないのですが…その分かれ道に来るといつも私は、車から外を眺めながら「その道が続く方へ行きたいなぁ」と心の中で思っていたのです。
なぜか惹かれてしまうのです。
その道を曲がって、その山深いところへ私は行きたい…
それは、どこだったのだろう。
たぶん、今通っても、思い出せるのではないかと思います。
行ってみたいのですが…。
と書きましたが、それがどこへ行く道だったのか…
まだ確かめられていませんが、
多分、南の方へ下った「宇陀」や「吉野」のほうへ向かう道だったのでは?
…と推測します。
この「宇陀」「吉野」のあたりの「山深い森」も…私は、なぜか「魅かれる」のです。
「阿修羅」は…サンスクリットの「アスラ」だそうで
「asu」とは「息」「命」のこと…
「息長」…も、関係するのだろうか…
「祝瓶山」のことを考えていると…
…なぜか、私のなかでは…このようなことが繋がってくるのです…