機織姫を探して…

今、私はひとりの姫を探しています。 その姫と…私は伊豆の山ですれ違ったようです。 …それからいろいろなことがつながり始めました…

「神輿」とは「丸木舟」?

 

この「祝瓶山」のある「大朝日山山系」の辺りは・・・調べて行けば行くほど、とても興味深いところです。

 

 

旧石器時代」「縄文時代」「弥生時代」という時代を、その同じ場所で綿々と人々が過ごしている跡があるのです・・・ということは、「定住」していた・・・ということですね。

 

「土器」を見ただけでも素晴らしい芸術です。水場への道や住居内の「敷石」は見事です。こんな生活が「旧石器時代」~「縄文時代」~「弥生時代」にあったとは・・・今までの私の概念が180°変わりました。

 

ええ・・・きっと「文化」があったはずです。

 

 

昨年の夏に家族旅行で行った青森の三内丸山遺跡にもとても興味を持ちましたが、こんな私の住んでいる近くにも同じような遺跡があったとは・・・驚きでした。

特にこの「三面遺跡群」は、現代まで山の谷間の同じ場所で人々が生活してきているところですので(途中途切れたかもしれませんが・・・)、ものすごく貴重な場所で・・・「リアル」に感じられるのです。

 

冬期の通行止めが解除されたら・・・すぐに行ってみたいです。

ダムに沈んでしまっていても、何かを感じられる気がします。

「奥三面遺跡交流館」では発掘されたものや、一部再現もされているみたいですので、時間をかけてゆっくり見てみたいと思っています。

 

 

今、私の手元には『越後三面山人記』(田口洋美著)という本があります。

(あれ!・・・今、「山人記(やまんどき)」と打とうと変換したら「八幡時」と出てきました。・・・「山人」「山」は「八幡」につながるんでしょうか??・・・)

この本は・・・1年前に仕事で、取材のために取り寄せた本です。

それが今・・・役に立っている・・・

すでに1年前に、私は「三面」に出逢っていたのです。・・・不思議です。

 

少し雑談になってしまいますが・・・

このブログにも以前書きましたが・・・1年前から私は、再び「放送」に関わるようになりました。元々番組ディレクターをしていたのですが、主人の地方勤務のため辞めることとなりその後は子育てを中心にしてきましたが・・・また再びご縁をいただき、取材をすることになったのです。

 

その最初の仕事が「山」に関する話題を探すことでした。まず「鶴岡」にある「山」が取材対象となり・・・調べているうちに「マタギ」に辿り着き、この本を取り寄せていたのです。しかしその「山」ではなく「鶴岡」の別の「山」について調べてほしいとのことで、「マタギ」はそのままに・・・すぐに別の取材を始め・・・でも今度はなかなか、話題が見つからなかったのです。・・・ですのでもうこれは地元の人たちに手当たり次第聞いてみようと・・・懐に入るつもりで話を伺いに行き・・・そしてあの「海の名前のついた杉の葉で覆われた鳥居」に行き着いたのです。

 

この時に大変だったのが「訛り」です(笑)その日、偶然村の人たちが公民館に集まっていたので、そこにお邪魔させていただいてお話を伺うことになりましたが、込み入った話になってくると皆さん独特の山形弁となって・・・わからないのです!

「きょとん」としていると「ああ、それはこういうことで・・・」と解説してくださいましたが、話のほとんどを「通訳」していただきました(笑)

これが地方局の取材なんだ!と、とても勉強になりましたが・・・

皆さんとても協力してくださって、村いちばんの長老の方は本当になんでもご存じで、いろんな話をユーモアたっぷりにたくさん聞かせてくださいました。

その長老の方でもその由来がわからなかったのが、あの「海の名前のついた杉の葉で覆われた鳥居」でした。

いつ頃からあるのか? 何のために「杉の葉で覆われて」いるのか? ・・・。

 

そして・・・それから1年後・・・

こうして、今、「青い姫」とつながってくるとは・・・思いもしませんでした。

 

その取材時も、「鳥居の原点ではないか・・・」など、考えてはいましたが、

なぜ「山の神」を迎えるための「鳥居」に「海の名前がついている」のかは・・・「謎」でした。

・・・が、「雪の上を走る」「丸木舟」。・・・「海人」へと届けに行く・・・

「海人」は、「丸木舟」を作った「山人」を迎え、盛大にもてなした・・・

・・・「杉の葉で覆われた海の名前のついた鳥居」。(神事もあった??)

 

ええ、きっとつながる・・・はずです。

 

 

「丸木舟」は、春先、まだ山に雪が残る頃に作られるそうです。

そう・・・雪の上を滑らせて麓まで「舟下ろし」するからです。

 

できたばかりの「丸木舟」は、水分がまだ抜けていなくて重いそうです。

ですので、かついで下ろすのは大変なので雪の上を滑らせて麓まで持って行って、そして寺の軒先などで梅雨の明けるまで乾燥させておくそうです。

 

・・・きっと、「縄文時代」の頃も、そうだったのではないかと・・・想像します。

 

 

現代では、近くの熊野神社の「山の神」をのせた「神輿」を迎えるために、各家庭の玄関の前にその「杉の葉で覆われた海の名前のついた鳥居」を作っていたそうなのですが・・・

 

なんとなく、私には・・・

今では・・・

その「神輿」とは「丸木舟」に見えてしまうのです。

 

・・・「神輿」のルーツとは・・・「丸木舟」に人が乗り、山の幸がふんだんに盛られた様子だった?・・・のでは・・・ないでしょうか? ・・・