機織姫を探して…

今、私はひとりの姫を探しています。 その姫と…私は伊豆の山ですれ違ったようです。 …それからいろいろなことがつながり始めました…

「雨竜」と「竜田川」そして「大沼の浮島」と「大朝日岳」

 

もっとこまめにブログに書き込めればいいのですが、なかなか時間も取れず…

…でも書くとなったら書きたいことがたくさんあって(笑)

散漫になってしまいますが…そしてずいぶんと長くなってしまいますが…

これもまた後々繋がっていくと思いますので…記録しておきます。 

「業務連絡」です…。

 

先日の「大和川竜田川)」…なぜ私が「川を俯瞰してみてみよう」と思ったのかには、きっかけがありました。

…毎週土日は上の子も下の子も野球なので、いつも朝早くお弁当をつくります。

その日は試合もあり朝5時起きだったと思いますが…テレビをつけるとNHK「小さな旅」が放送されていたのです。このテーマ曲は昔から聞いています。長寿番組です。

お弁当を作ったり忙しくしながらチラチラ見ていましたが、聞こえてくるなかに、私のルーツに関するフレーズがでてきたので「あれ?」と思って手を止めてみてみると…なんと北海道の「雨竜」の話でした。

…ええ、あまり詳しく書けませんが、ここや「岩見沢」という場所は、私の父方の先祖と関りが深いのです。

時々私はその歴史を調べています。これまで習ってきた日本の歴史とリンクしていくところもあり、また違った角度から時代をみることができて興味深いです。(「渋沢栄一」の動きとも重なるところがあるので…どんな時代を生きていたのか…2021年の大河が楽しみです)

その「雨竜」には尾瀬のような湿原があって、川が流れていて…山から俯瞰してみるとその「川」はまるで「竜(龍)」のようなのです。美しい風景でした。

「そうか…川は、空から見るとまるで生き物(竜・龍)のようだ…」と思いました。

…それで…「竜田川」が気になったのです。

…それは大きなヒントをくれました。

 

そして…「川」つながりになりますが…

今、私は「貧血」で、時々病院に通っています。

その日も病院でしたが、午前中で終わったので…午後、家まで帰る途中、気ままにドライブすることにしました。

行きたかったところがありました。

先日「紅」について白鷹町を取材していた時に、そこを流れる「最上川」が私は気になっていたのです。もっと先に「朝日町」というところがあるのですが…そのあたりの「最上川」を川に沿ってドライブしてみたいなと思っていました。

山形市の病院から寒河江の方へ抜けて「最上川沿い」を車で走ると「朝日町」へも行けます。そのルートで走ろうと思いました。「面白い出逢いがありますように…」と思いながら…

 

そうして車で走っていると…さっそく「大江町」という看板が。「えっ、「大江町」?大江広元?」 そう、大江広元寒河江に来ていたのですね。 

そして、早く川沿いに出ないかと楽しみにしていると…「名勝・大沼」というような看板が何回か出てきました。この日は雨が降っていて天気も悪かったので…行っても景色は良くないだろうと…最初は素通りしようとおもっていたのですが…

やはり「名勝」という言葉になんとなく心惹かれ(笑)…こんなところにどんな景色だろうと…少し寄り道になるけれど行ってみようと思い、道をもどって(!)山の中に入っていきました。

でもこれがなんと…ぐねぐねとした細道を行けどもいけどもたどり着かないのです。

「本当にこの道で合ってるのかな?」と心配になるほどでした。

それにこんな山奥に…私一人で大丈夫かな…と心細くなっていたところで…

急に視界が開け、家が立ち並んでいます。「こんなところにこんな場所が!」と思うようなところ。

そこにあったのは「大沼の浮島」。有名なところだったのですね。

 

「大沼の浮島」

武帝9年(681年)、山岳修験者役の証によって発見され、弟子の覚道によって開山されたとされている[2]。湖面に静かに遊泳する浮島は、その動静から吉凶が占われたという[3]

奈良時代に僧の行基が訪れ、その際に行基は大小様々な浮島に日本各地の国名を名付けたという。後に歴代の領主政権祈願所となり、鎌倉時代には源頼朝戦国時代には山形県武将である大江氏最上氏江戸時代には徳川家の祈願所とされた[3]

1925年に国の名勝地に指定された。

 

源頼朝や大江氏、徳川家の祈願所だったというだけあって、こんな山奥(何度もいいますけれど!)なのに、よく手入れされた立派な神社があり、沼に浮かぶ浮島たちも神秘的で、とても厳かな場所でした。 

こんな場所に出逢えてよかったです。

でも、どうしてこんなところに?? 頼朝や家康も??

 

不思議に思いながら、また車を走らせていると…ようやく「最上川」へ出ました。

天気は悪かったですが、川の流れは美しく…この景色が見たかったのです。

川沿いを上流へむけて走っていると、「きっと北前船も酒田からこの川をのぼっていったんだ」と思ったりしていました。

この「朝日町」のあたりは、自然がそのまま残り、いいところだなと感じました。

そしてなぜ今回「朝日町」に行きたかったかというと…前回の取材の時のこともありますが…ちょっと以前に不思議な出逢いがあって…その場所はどこだろう? と気になっていた…ということもあったのです。

その出逢いとは、ざっくり言うと「羊」と「蜂」に関わっています。

その人が営んでいるお店の場所が分かればいいなと思っていたところもありましたが…そこには出逢わず…そして帰ってきましたが…。

 

家に帰って、地図で調べてみると…そのお店は、「朝日川」をのぼったところにありました。

今日、私が通ってきた道の途中を曲がっていけばたどり着けたようです。

ちゃんと調べて行けばよかったと思いましたが…

その地図を見ていると「大朝日岳」という山の麓だったこともわかり…。

 

その「大朝日岳」という山が…私が今住んでいるところからよく見えるのですが、とてもきれいな三角に尖った山なのです。「あの山は何だろう?」8年前にここに来た時からずっと気になっていました。

初めは「月山」? なのかなと思っていましたが、「月山」はその横にあるなだらかな山で、あれは「大朝日岳」という山だということを教えてもらいました。

 

(その「大朝日岳」に由来があるかわかりませんが「朝日鷹」という名前のお酒が山形にはあります。「十四代」の蔵元が出しているお酒ですが美味しいです。…でも私は新藤酒造の「雅山流」というお酒が気に入っています。一度みなさんも呑んでみてください…)

 

とてもきれいな三角形に尖った山なので…何か信仰の山なのではないかと思っていましたが…

今回気になって調べてみると…

 

「朝日修験は出羽三山と同時代に役ノ小角により開山されたとされている。浮島のある朝日町大沼部落は朝日修験道の中心の信仰集落で一院三十三坊があったという。大沼大行院が朝日岳山伏の総元締めといわれ、宮宿の西方の布山(現在は野々山と言われていらしい)から尾根伝いに道円山-三本杉峠-高鳥屋山-伏辺山-ぶな峠-鳥原山-大朝日岳へ参拝路が通じていた」

山岳宗教史研究叢書7 東北霊山と修験道 月光善弘編。

 

そうか…「大沼の浮島」は「大朝日岳」と関係していたのですね。

 

この「大朝日岳」…とても重要な気がします。

今回の気ままなドライブで…「月山」よりも…なぜか私はこの「大朝日岳」が気になっています。

 

高野山」で私は、弘法大師の御廟である「奥之院」よりも「御社」のほうが大切なところ…と感じたように…

この山形(東北)という地では…実は「月山」や「出羽山」よりも…

もしかしたらこの「大朝日岳」がいちばん重要なところ(キーになるところ)…

なのかなと…思い始めました。

 

役行者も関わってくるようですし…

「青い姫」に…何か繋がっていくのかも…しれません。