「竜田川」の源流…「緑」と「水(の神)」と「紅(弁財天)」
先日の「紅」が「緑色」だったこと…
それも玉虫色の金属光沢のような美しさだったことが…
まだ私の頭から離れません。
なぜ私には…「青」と「赤」がつきまとうのだろう。
それも…このブログでも書いてきているように…
ここまでくると…「青」が「赤」に隠されているとしか思えないのです。
「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
これまでもこの和歌について考えてきましたが、
ここにきて、また私の記憶と繋がり出したのです…。
神代の時代にも聞いたことがないくらい「紅」に染まっている「竜田川」。
なぜこの和歌が、私は気になるのか…
…もしかしたら「竜田川」にヒントがあるのかもしれない。
調べていくと、「竜田川」と呼ばれていますが、本当は「大和川」のことだという…
「大和川」…この川に纏わるものが「青」から「赤」に変えられているのではないか…と思えてきたのです。
「大和川」の源流が知りたい。どこから流れてきているのだろう…。
すると…「大和川」の源流は、「貝ヶ平山」という、
「桜井市」「宇陀市」「榛原地区」「都祁吐山町」の境界にある山にあるということがわかりました。
「ああ…ここは…」
地図を見て、私は幼いころの記憶を思い出しました。
「長谷寺」の近く…そう、この場所をよく知っています。懐かしい。
小学生の頃、私は奈良の橿原に住んでいて、夏休みなど名古屋の祖父・祖母の家に遊びに行って帰ってくるときには…必ずこの辺りの道を通っていたのです。
針インターから降りて、南へ下り、長谷寺の方へむかって行きます。
その途中は、緑が生い茂り山深いところなのです。そのこんもりとした山深さが私は好きだったのです。いつも車から眺めていました。
大学生になって車の免許をとった時にも、真っ先にその道を通りたくて…遠かったですがドライブに行ったほどなのです。
…そしていつも…車に揺られながら…
確か途中に、道が分かれるところがあるのです。
橿原の家に向かうにはその道は通らないのですが…その分かれ道に来るといつも私は、車から外を眺めながら「その道が続く方へ行きたいなぁ」と心の中で思っていたのです。
なぜか惹かれてしまうのです。
その道を曲がって、その山深いところへ私は行きたい…
それは、どこだったのだろう。
たぶん、今通っても、思い出せるのではないかと思います。
行ってみたいのですが…。
その山の辺りが…「大和川」の源流だったのです。
地図で確かめてみると…
「鳥見山」が近くにあり、「初瀬ダム」に集まった水が「長谷寺」の辺りを通り、「三輪」のほうへ流れ、「斑鳩」へと向かっていくようです。
大和川…
奈良県桜井市の北東部、貝ヶ平山(かいがひらやま、標高822m)近辺を源流としており、上流部では初瀬川と称される。奈良盆地を西に向かって流れつつ、佐保川、曽我川、葛城川、高田川、竜田川、富雄川など盆地内の大半の河川を生駒山系の手前までに合わせる。生駒山系と葛城山系の間を抜けて、大阪平野にでると柏原市で南河内を流れてきた石川と合流してまっすぐ西へと流れ、大阪市と堺市の間で大阪湾に流れ込んでいる。
なんとも興味深いところを流れていく「川」なのです。
…きっと、この「大和川」に象徴されるものが、「紅」に変わらなければならなかった…のではないかと、思うのです。
この山の辺りには…どんな人たちが住んでいたのでしょうか?
前回の「『紅』は『緑色』」から辿りついた、この場所。
「紅」は…本当は「緑色」で…「水」をつけると「紅」になるのでしたが…
「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
きっと、この「大和川(竜田川)」の源流・貝ヶ平山の辺りを拠点にしていた「緑色」だったものが、「水(の神)」になって、「紅(弁財天?)」に変わっている…
…そんなことを、在原業平は伝えているように…私には…思えてくるのです。