機織姫を探して…

今、私はひとりの姫を探しています。 その姫と…私は伊豆の山ですれ違ったようです。 …それからいろいろなことがつながり始めました…

能「沖宮」…

 

18日(日)の国立能楽堂での新作能「沖宮」はすばらしいものでした。

私は「能」を観るのは初めてだったのですが…こんなに「心」を打つものだったのですね。

 

「心」…「魂」と呼応する感じなのだと思います。

 

日本語という「ことば」の美しさにも…改めて感じ入りました。

七五調という「調べ」もいいのでしょうね。

沁みこんできます。

 

…そして、「発声」…

人間の身体から、こんなにも美しく響く「音」が出るのですね。

 

「十六」という能面をつけた天草四郎から、発せられる「声」を聞いたとき…震えました。

「声」だけで、こんなにも魅了できるのですね。

「声」だけで、その人柄や気持ちや品格などが伝わってくるのです。

 

顔の表情…ではないのですね。

「所作」や「ことば」やそれを伝える「声」…人間にはこんなにも伝え方があったのですね。

 

もっと…日常の所作や会話も、ぞんざいにせず、大切にしなければ…と…思ったりしました(笑)

 

 

笛や小鼓、大鼓、太鼓の「囃子」の音色も、古くから馴染みのあるようにすんなりと身体が受け入れます。だんだんと…「空間」が変わっていきます。

 

地謡」という8人くらいの人たちが謡う「謡」は…私には念仏のようにも思え…この「能」が演じられている「場」を浄化させるような…そして「異空間」に棲むもの達をも一体にさせるような…そんな感覚に引き込まれていきました。

 

 

この「沖宮」の話とは…

戦に散った天草四郎と、父母を亡くし生き残った乳兄弟のあや。あやは旱魃に苦しむ村のために、雨の神である龍神への人柱として選ばれます。緋の衣をまとったあやは舟にのり沖へ流され…天草四郎龍神に導かれ、妣なる国「沖宮」へ…

 

…そう、「生贄」なのです。

孤児で寄るべなき身の上の「あや」を「神代の姫としさし出だす」…。

 

 

古き家の蔵から見つけた「緋色」の旗さし物(小旗)を川で洗い、

あやが人柱として着る着物として、

村の女房たちが、ひと針ごとに涙しながら縫っていきます。

 

 

「雨をたもれ」「雨をたもれ」…祈りの舞。        

 

 

そこへ稲光とともに龍神がやって…

 

 

その龍神がやってきたとき…私は涙がこみ上げてきました。

「泣いたら恥ずかしいな…」と思ったんですが…もう涙がとまらないんです。

どうしてでしょうね…。

 

…「優しさ」です。

 

 

「むごきこの世を離れて今は。浄土の海の光の凪ぎに…浮きつ沈みつ夢のごとくに…」

 

彼岸花で飾られた小舟にのって、海原へ流されるあや。

…そのあやの「道行き」に…そっと寄り添う、亡魂の四郎と龍神

 

そう…以前「龍を感じたとき」(少しだけ公開し、削除してしまいましたが…)でも書いたように…「龍」は寄り添ってくれるのです。

一緒に哀しみを…泣いてくれるのです。

 

 

地謡」が謡う…

 

「われらが縫ひし緋の衣…」 …そう、「縫う」ことや「織り」は…「祈り」なのです。

 

「いのちたちの大妣の。おらいまする沖宮へ…」

「道行きは はじまりぬ 道行きは 今はじまりぬ…」

 

 

天草四郎の衣装は、水縹(みはなだ)色。薄い青色。

…この「縹色」とは…もともとは「ツユクサの色」だそうです!!

露草・月草・鴨頭草…。

 

あやが人柱として着る衣は「緋色」。

この衣は…私には、三橋節子さんが描いた「湖の伝説」の…湖のほとりで、鴨が腹をみせ死んでいる横に、子を抱いてたたずむ女の着物と…重なる…。

 

 

この衣装の色を決めたのは、石牟礼道子さんと志村ふくみさん。

志村ふくみさんが染めた色糸をみて、石牟礼道子さんが選んだそうです。

 

石牟礼さんは、なぜ「水縹色」と「緋色」を選んだのか…。

…でもそれも…

私にはわかるような気がする…。

 

 

天草四郎と乳兄弟なのだから…あやも本当は「ツユクサ色」の着物なのでしょう。

それが「緋色」を着せられて…

 

…そういうこと…なのだと…思います。

これまで私が考えてきた、「青」と「赤」の謎も…。

 

 

(この能「沖宮」の天草四郎の能面は「十六(じゅうろく)」十六歳の若さで須磨の浦で戦に破れた少年、平敦盛の顔を写したという。龍神の能面は「大蛇(おろち)」だったそうです…)