機織姫を探して…

今、私はひとりの姫を探しています。 その姫と…私は伊豆の山ですれ違ったようです。 …それからいろいろなことがつながり始めました…

立花隆著『宇宙からの帰還』

 

前回このブログに書いた、立花隆さんの『宇宙からの帰還』。

なぜ今になって思い出すことになったのか…とても不思議なのですが…(笑)

 

久しぶりに読みたくなって、その本を取り寄せてみたのです。

今読んでも面白かったです(笑)いろいろ書きたいことはありますが…

 

この前の話題の続きでいうと…

 

小学生の時に、私がこの本を読んで心に残っていたのは、

…その、宇宙空間の「テレパシー」のことと…

そういえば…もう一つ…「神の存在」についての宇宙飛行士の話も「ああ、それわかる…」と思ったことを思い出しました。

 

アーウィンという宇宙飛行士が、宇宙空間では「神がすぐ私の脇にいた…」と語っているところです(P120~あたりに書かれている部分です)

それを読んだときにも「ああ、それわかる。そうそう…神さまはそばにいるよね」と思ったのです。

小学生の私が…です…(笑)

 

どうしてそんなことを思ったのかというと、ちゃんと理由があるのです。

 

…私が2年生の頃だったと思いますが…

私がよく遊んでいた「岩船」のふもとには、「キリスト教」の団体が主催する「日曜学校」があって、私は友達に誘われて毎週日曜日、遊びに行っていたのです。

「クリスマス会」などがあって、子どもたちがたくさん集まって楽しかったのを思い出します。

うちの家が「キリスト教」というわけではなかったのですが、私の両親はカトリックの大学を出ていましたし…私が「友達が行っているので私も行きたい」と言ったら、行かせてくれました。

 

キリスト教」ですから、毎週そこへ行くと、聖書にある言葉が書かれたカードを渡されて、次に行った時にそれを「暗誦」するということをしていました。

そして必ず最後には「主イエスキリストさま アーメン」というような言葉で締めくくられていたと思います。

それをイエスキリスト像の前で言います。

それが私にとっての初めての「神」というものの存在との出逢いだったかもしれませんが…

 

でも…そうして「主イエスキリストさま アーメン」とイエスキリスト像の前で祈っていると…だんだんと…

 

なぜか…私のなかで『神』というものは、目の前の「イエスキリスト」を通してではなく…

「自分のなか」にあるような感じがしてきたのです。

自分のなかというか…「そば」にいる感じです。一心同体な感じなのですが、別々なのです。

 

こんなこと言っていてもよくわからないですよね(笑)

 

でもその感じをうまく表現していたのが…『宇宙からの帰還』に書かれていた宇宙飛行士の言葉です。

ちょっと長くなりますが…書き出してみます。 

 

「…月にいるときに得た神がそこにいる実感…その臨在感は知的認識を媒介にしたものではない。もっと直接的な実感そのものなのだ…」

 

「…いくら祈っても、神は無言だ。直接的には何も答えない。すぐには何も答えない。それが普通だ。神と人間の関係はそうしたものだと私も思っていた。しかし月ではちがった。祈りに神が直接的に即座に答えてくれるのだ。祈りというより、神に何かを問いかける。するとすぐ答えが返ってくる。神の声が声として聞こえてくるというわけではないが、神がいま自分にこう語りかけているというのがわかる。それは何とも表現が難しい。超能力者同士の会話というのは、きっとこういうものだろうと思われるようなコミュニケイションなのだ。神の姿を見たわけではない。神の声を聞いたわけではない。しかし、私のそばに生きた神がいるのがわかる。そこにいる神と自分の間にほんとにパーソナルな関係が現に成り立ち、現に語り合っているのだという実感がある…」

 

「これはどうしたって、すぐそこに神は実際にいるはずだ。姿が見えなければおかしいと思って何度も振り返って見たくらいだ。しかし、その姿を見ることはできなかった。だがそれにもかかわらず、神が私のすぐ脇にいるというのは事実なのだ。私がどこにいっても神は私のすぐ脇にいる。神は常に同時にどこにでもいる偏在者だということが、実感としてわかってくる。あまりにその存在感を身近に感じるので、つい人間のような姿形をした存在として身近にいるにちがいないと思ってしまうのだが、神は超自然的にあまねく偏在しているのだということが実感としてわかる」

          立花隆著『宇宙からの帰還』より

 

難しいですよね(笑)

でもわかりますよね?…きっと「感覚」ではわかると思います。

 

こんな感じなのです。私が感じる『神』とは…。

 

今でも…久しぶりにこの文章を読んで「そうそう…」と思ってしまいました。

 

このアーウィンという宇宙飛行士の言葉を、こうやって表現して書く「立花隆」さんという人も凄いと思ってしまいますが…きっと立花さん自身も、こういう「感覚」を持っているのだと思います。

この文章の後に書かれていることもとても面白いので…興味のある方はぜひ読んでみてください(笑)

 

でも、こういう「感覚」が、地上ではなくても「月」では起こるようなのです。

それがとても興味深いですよね。

私は、地上にいても「理解」できるところがあるので、不思議なのですが…(笑)

これはきっと人間には元々あった「感覚」なのではないかと思うのです。

 

そうすると…やはり「重力」が関係するのかもしれませんね!

 

どこかで、地球上の「重力」が変わったりしたのでしょうか…。

月の重力は、地球の重力の1/6ほどだそうですが…

太古の地球の重力は…それくらいだったりしたのでしょうか?

 

そうすると…何か辻褄が合う感じもするのです。

 

大きな石をどうしてこんなところまで持ち上げられたのだろう…。

言葉がなくても、やりとりできていたから、言葉は必要なかったのではないか…

『神』の存在は、「感覚」として自然と生まれてきただろう…

 

そんないろんな疑問が…解決できてしまうような気がします(笑)

 

その地球の「重力」の変化には…「月」という存在が大きく関わったのかもしれません。

…だから「月」を読むことがとても重要だったのかもしれません。

 

私のいろんな「妄想」は広がっていきます(笑)

 

久しぶりに読んだ『宇宙からの帰還』。

「月」で「人間」が感じたことは、とても興味深く面白いです。

この本が出版されたのは1983年。

もう35年も前の話なのですか… 立花隆さん、凄い人です!