徒然に思うこと…
唐突に言いますけど…私は、何か「聞こえる」とか、何かが「みえる」ことはありません(笑)
でも「直観」は…あるのかもしれません…。
それはどんな感じなのかというと…
…昔、これまた小学生か中学生の頃だったと思いますけど…
立花隆さんの『宇宙からの帰還』という本を父が買ってきて、私も読んだときに…宇宙飛行士が「宇宙空間では言葉を交わさなくてもテレパシーのように考えがわかった…」というようなことが書かれていたと思うのですが、その時に「ああ、それわかる…宇宙空間では、それはあたりまえのことなんだ…」と思った記憶があるのです。
なんと説明したらいいのでしょう…(笑)
「透視ができる」ということではないのです…
何か少し「きっかけ」をもらえると、そこから「パッ」「パッ」「パッ」とイメージが繋がっていく感じで…。だいたいの道筋がわかっていく(?)感じです。
その「きっかけ」は、言葉でなくても、雰囲気(?)からでもいいのです。
「察知」するのかもしれません。
でもその時は…なぜか「脳」ではないところで感じ取っている感覚があるのは…気のせいでしょうか?(笑)
(私がよく「頭で考える」のではなく「直観でとらえよう」というのは…このことです(笑))
…「心」で受け取っている感じなのですけどね…^^。
(以前、このブログにも書いた「青い姫」と「入れ墨の目をした勇者」との出逢いで、「姫」がその青年の「目」の「奥」から、瞬時に、「聡明さ」「勇気」「信頼できる」と読み取ったのも…この感覚だと思っています)
でもね…この感覚は、誰でも持っているものだと思っています。
それには「重力」が関係しているのかもしれませんね…(笑)
(宇宙空間では…できるのですからね…)
そうするとやっぱり「月」の動きも重要…なんですよね(笑)
これまでのことをまとめてみてみると…なんだか私は「縄文」の頃の「記憶」に触れているのではないかと…思ってきています。
「そんな古い記憶なんかない」と笑われそうですが(笑)…でも私には、それも「ある」のではないかと思うのです。
遺伝子のぐるぐるとした螺旋(らせん)をみた時に…なんとなく…このぐるぐるには、これまでの人類や生き物のたくさんの「記憶」が書き込まれているように思えたからです。
(そのうち、それが読み取れるようになるのかもしれませんね)
私が触れる「記憶」には、あまりおどろおどろしい感じはしないのです。
もしかしたら、あえて思い出さないようにしている「記憶」もあるのかもしれませんが…(以前書いたように、播磨や岡山辺りは、あまり触れたくない感じがするのです)
おどろおどろしい感じがしないのは…なんとなく…その私が触れる「記憶」の頃は…「生きる」ということに一生懸命だったから…なのかな…と。
ストーンヘンジを作り出したのも、「月」を読み取ることで、自然の驚異を乗り越え、「人々」が「生き抜く」ためだったように思われます。
だから…今だって、できるはずなのです(笑)
日本列島にも、たくさんの「縄文」の「記憶」が残っています。
先日も、車を走らせていて…
そこは、目の前に、朝日岳という三角のきれいな山とその横に月山がなだらかに連なり、左には飯豊山という山がみえて…この時期、それらの高い山にはまだ雪が残り…田植えが始まり、新緑の緑も美しくなってきた田園風景に、残雪の白も重なって、「なんて美しいんだろう…」と清々しい気持ちになっていたのですが…
後から調べてみると、その辺りは縄文時代の遺跡も多く、古墳時代には202基もの古墳がつくられた場所だったのです。
…なるほどなぁと思いました。
こういう場所は、日本各地にあります。
その頃から、「人々」は、この大地で「生き抜いていた」はずです。
だから…文化は「渡来」だけではない… この「日本列島発祥」のものもあるはずです。
…だから…今の日本があるような気がしています。
それを知ってほしいと…そう言われているような気がします(笑)