機織姫を探して…

今、私はひとりの姫を探しています。 その姫と…私は伊豆の山ですれ違ったようです。 …それからいろいろなことがつながり始めました…

「ホータン(和田)」「酒泉」の「夜光杯」

なかなかブログを更新できなくてすみません…。

書きたいことは、たくさんあります(笑)

 

やはり…繋がっていく感じです。

 

私は「ことば」が好きで、文章を書いても、その後に推敲しながら研ぎ澄ましていく過程が好きなのですけれど(なので、このブログに書く文章も、もう少し推敲したものを出したいのですが、そうもいかず…(汗)乱文ですみません!)

 

そうしてこのブログも時々振り返って反芻していると…一見ばらばらにみえる、このブログに書かれていることの…ひとつひとつが…やはりからみあっているのがわかります。

 

だから、なるべくこのブログには…関係ないと思われることでも…気になることは記していこうと思っています。

 

 

「ホータン(和田)」「酒泉」…これも何か関係するようです。

 

…というのも…この伊豆山からの流れのそのなかで…私の手元にやってきたものの、もう一つに、「夜光杯」があります。

 

夜光杯(やこうはい)はで作られた杯であり、中国甘粛省酒泉の特産の一つである。

東方朔の『海内十洲記』の中の「鳳麟洲」の記載に以下のようにある。

周穆王の時、西胡が、昆吾割玉刀と夜光常満杯を献上してきた。刀の長さは一尺であり、杯は、三升が入る大きさであった。刀が玉を切るときには、泥を切るようであり、杯は伯玉の精であり、光は明るく夜を照らすようであった」

この資料から、西周の時に、既に、夜光杯が中国の政権に対する献上品であった歴史があることがわかる。ただ、この時期は、ホータンの玉で夜光杯を制作しており、長安洛陽の地に遠く運ばれていた。

後に、輸送中に玉杯が簡単に壊れるため、ホータンの玉を酒泉に運び、そこで夜光杯に加工し、そこから、輸送することにした。さらに後に、ホータンの玉が出なくなったので、祁連山で取れる酒泉の玉を使って、夜光杯を制作するようになった。

酒泉玉は、その色によって、墨玉、碧玉、黄玉に分類され、どれもが、夜光杯の制作に使用される。夜光杯の紋様は、天然に形成されたものである。その墨黒は漆の如く、碧緑は翠の如く、白きは、羊脂の如し、と言われている。どれもが、高温や低温に耐える特徴をもっており、お燗をした酒を入れても、冷酒を入れても壊れることがない。

夜、杯に酒を満たして、月光の下でそれをすかすと杯に光があることから、夜光杯と呼ばれるようになった。

夜光杯が広く人々に知られるようになったのは、唐代に活躍した王翰の「涼州詞」によってである。

涼州

葡萄美酒夜光杯、

欲飲琵琶馬上催。

酔臥沙場君莫笑、

古来征戦幾人回。

作家陳舜臣は、小説「挙げよ夜光杯」で、夜光杯を作る職人の姿を描いている[1]

 

 

私の手元にやってきた「夜光杯」は、片手の手のひらのなかに収まるくらい、とても小さくて、薄く…でも重みがあります。鉄分が入っていて、磁石に反応するのです。

 

昔は「ホータン(和田)玉」でつくられていたようですが、今の「酒泉」でつくられている「夜光杯」は「蛇紋岩」のようです。

 

この杯にお酒を入れて(小さいので、そそぐとすぐいっぱいになってしまうのですが、表面張力で盛り上がって…それも面白いです)月の光にかざしてみると、杯が光ったようになるらしいのです。それで「夜光杯」と名前がついたようですが…

 

やはり「月」と関係してくるのも…なんだか興味深いところです…。

 

「夜光杯」のもともとの産地「ホータン(和田)」は…「鴨の姫(青い姫)」が行ったとおもわれる草原(私が勝手に思っているだけですけれどね(笑))である中央アジアに近いところです。

「ホータン(和田)」や「酒泉」の辺りを経由して…そしてまた、日本列島に帰ってきたのかもしれません。

 

…でも、私がこの「夜光杯」を手に持った時に感じたのは…

とても小ぶりで繊細で美しく重みもあって素敵なのですが…何かが違うような感じなのです。

 

少し怖いのです。

 

これは「翡翠」ではない…そんな違和感を感じたことを…記しておきます。