「日」と「月」が交叉するところ…
何に導かれているのだろう…。
…でも確かに、何かに沿って少しずつ、私のなかの古代史が書き換わっていっているのがわかります。
「伊豆山」での「機織姫」との出逢い。
…出逢いといっても実際に逢ったわけではなく、すれ違った「気配」を感じたわけですが…。
きっとこの「機織姫」が日本の歴史のなかでも重要な「鍵」となるはずです。
…その「機織姫」が、なぜ、私をこの「謎解き」に引き込んだのか…。
…それはきっと、私がこれまで住んだところ、出逢ったもの、感じたもの、私の生い立ち、ルーツ…それらのもののなかに、この「謎」を解くヒントがあるからなのだろうと思っています。
でもそれなら、もしかしたらもっと前でもよかったかもしれないのに、なぜ今なのか…。
それはきっと…「龍を感じたとき…」でも書いたような経験をしたからなのかもしれないけれど…いやそれよりも前に…きっと子どもを産んだからだと思う。
私には二人の子どもがいますが、出産を経験して…やはり女性は何かが変わるような気がします。
「魂」を宿すからです。
二人とも私のお腹のなかで育ちましたが…私の分身ではないのです。
それがなんとも不思議でした。
十月十日。お腹のなかで育ち、月が満ちるようにして誕生します。
…あぁ…やっぱり「月」なんだ。
「猪苗代」の月夜から、「月」のことがとても印象深くて…。
…きっと、アマテラスの「鏡」は「日」ではなく「月」…なのだと思い始めました。
「月の信仰」が、日本の元々の原点なのでは…。
ストーンサークル(環状列石)も…「日」というよりも「月」の動きをみたかったのだろう。
…それも…「日」と「月」が交叉するところが…重要だったのかもしれない…。