「愛」は「阿」と「伊」…そして「いと(伊都)しい」「いつく(厳)しむ」
古代史を調べていけばいくほど…いろいろわからなくなっていきます(笑)
わざとわからなくしているようです。
…だからこそ、直感が大切なのかもしれませんが…。
「赤い石」と繋がった「目尻に入れ墨のある勇者」と「姫」の出会い。
…そうすると、伊都族と伊勢族が重要なのかもしれませんが、でもその舞台となったという瀬戸内海…私にはよくわからないのです(泣)
そのブログのコメントのやり取りのとき、瀬戸内海ではいろいろな攻防があったということを教えていただいたのですが…ちょっと私には伊豆山のときのようには…何も受け取れなかったのです。
モヤがかかっている感じです。少し嫌な感じもします。
…そう…「播磨」「吉備」の辺りは…ちょっと苦手です(笑)
伊豆山神社からの繋がりから…「目尻に入れ墨のある勇者」と「姫」の出会いは確かにあったと思えます。
その出会いは、古事記に書かれた文章とも繋がり…そこに私はとても強い「愛情」を感じたのです。
本当に好きだったのだと思います。
でもそれを強調するということは…きっとその後に、別れがあったのだと思うのです。
「尾張」は「終わり」だからです。
身内争いなのか…。
一族と一族が一緒になったけれども、その後にまた分裂しなければならない事情があったように思います。
それはきっと…その「姫」にとっては、本意ではなかったように思います。
…そしてその出来事から…怨霊の封印など…そのようなことが始まったようにも思います。
それくらい大きなことだったのかもしれません。
でも、その「愛」は、本物だったように思うのです。
「愛」という言葉を使うのを、私たちはなんとなくためらうところがありますが…。
なぜか私には、この二人のなかに「愛」という言葉が強く印象づけられます。
直江兼続が兜の立物に「愛」という文字をつかっている…その「愛」も、この「愛」に繋がるのかもしれません。
その「愛」という文字ですが…
「愛しい」→「いとしい」→「(伊都)しい」
「愛しむ」→「いつくしむ」→「(厳)しむ」 …なのです。
なぜこのような読みをあてているのでしょうか?
「愛」という言葉に「伊都」や「厳」を忍ばせた…その人を私はとても知りたいです。
…そして「愛」は…「阿」と「伊」とも思っています。
今年はスポ少野球も仕事も休みがとれて…明日から家族旅行に出かけます。
日本海沿いに能登まで行き、乗鞍を通って、実家の鎌倉までの久しぶりの長い車旅なのですが…。
この旅もまた…何か繋がる旅の予感がしています。
…あの巫女的な母も…一緒ですからね(笑)