機織姫を探して…

今、私はひとりの姫を探しています。 その姫と…私は伊豆の山ですれ違ったようです。 …それからいろいろなことがつながり始めました…

「月山」「羽黒山」と「蘇我氏」

先週末、「月山」「羽黒山」に行ってきました。

…といっても、スポ少の休みといえば「雨」ですから(泣)…天候の悪い中でしたが、貴重な休み(!)だったので、前から行きたいところだったこともあり、ドライブしてきました。

 

台風が過ぎ去ろうとしていましたが、やはりまだ風と雨は強く…まずは「月山」の八合目まで車でいきましたが、雲! 本当は湿原散歩をしたかったんですけど、その風景さえ見ることはできませんでした。

…なんとなく「乗鞍」の時と似たような展開です。

うーん、「乗鞍」も「月山」も、私にはまだ時期が早いということでしょうか…なかなか姿を見せてくれませんね(笑)

 

でも、茶店で少し休憩して帰り道、少し雲が晴れて虹がみえました。山の上なので谷間に虹がかかり、虹が下にみえるんです…不思議でした。

 

その日は「月山」だけに行く予定だったのですが、湿原散歩ができなかったので時間もあまり…これまた行ってみたかった「羽黒山」にも寄ることにしました。

そのまま車で行ったので、すぐに頂上のほうに着いてしまいました。

 

ここには「蜂子皇子」の御陵があります。

崇峻天皇の第三皇子で、蘇我馬子崇峻天皇が暗殺されたときに馬子から逃れるために聖徳太子によってかくまわれ、ここにやってきて、出羽三山を開いたそうです。

そして、この墓は、東北地方で唯一の皇族の墓だそうです。

 

「蜂子皇子」の肖像画をみると、色が黒く眼もギョロっとしていて独特ですよね。それが私にはとても印象深く心に残っていたのです。そして、久米寺の時の「来目皇子」は「聖徳太子」の弟でしたが、「蜂子皇子」も「聖徳太子」にかくまわれ…と、何かつながりがありそうな感じがするのです。

 

出羽三山神社の三神合祭殿は立派な茅葺だったのでとても驚きました。

…この御本殿の前には「鏡池」という池がありました。古くから信仰をあつめ銅鏡が埋納されてきたそうです…きっとここが「羽黒山」の元々の場所ですね。

 

昔から、高い山のなかで水が溜まるというところはとてもめずらしく貴重なことのようです。だから神聖な場所として崇められてきたようです。

その日は偶然にもその「鏡池」の前でオーケストラの演奏があり、吉村知事もいらっしゃってましたが…もしかしたら太古の時代も、月夜の晩に、この「鏡池」のまわりを囲んで美しい音色が奏でられていたのではないかと…そんな静かで美しい光景を想像してしまいました。

 

…でも、このドライブでいちばん感動したのは、この後です。

 

羽黒山」といえば有名な「五重の塔」はどこだろうと地図をみると、少し離れたところにあります。ここにも行こうと車でむかいました。

 

随神門という門をくぐると…ここでも階段は下へ下へとくだっていました。

なんとなく…神社に行くのに、まず下に降りていくというのは…私には違和感があるのですが(乗鞍の「旗鉾伊太祁曽神社」もそうでしたね。同じ感じです)、降りていくと、すぐに道沿いに幾つか祠がありました。

 

「磐裂神社」「根裂神社」「五十猛神社」「大年神社」…などなど、気になる神様ばかりですが…そこを抜けていくと…

 

「滝」です!

 

その前には川も流れています。川の上の小さな橋を渡ると、その滝の下まで近づけます。

その「滝」のところには「祓戸四神」である「瀬織津比売」「速開都比売」「気吹戸主」「速佐須良比売」が祀られていました。

 

そしてその横には大きな大きな「杉の木」があって、それは「天手力雄命」でした。

 

ここは凄く気持ちのいいところです。

 

川の流れもここでカーブしていくので、少し溜りがあるのですが、とてもいい雰囲気です。

…なんとなく私は…奈良の明日香の石舞台古墳の横にもとてもきれいな川が流れていて、昔そこまでよく友達と歩いて行って(家からは一時間くらいかかり遠かったんですけど!)沢蟹をつかまえたりして遊んだ思い出があるんですが…その川の感じと似ているような気がしました。

 

「こんなところがあったんだ!」

 

今日はきっと、この場所に出会うために来たのだろうと…それくらい心がふるえました。

 

本当は…羽黒山を参拝するときは、まずこの川で禊をして、そしてここから登っていって「鏡池」のところまでいくのが順序なのですね。

 

でも本当にそうだと思います。この場所でまず心身を清めるのがいいですね。清々しい感じです。(あ、この滝は「須賀の滝」と言うそうです)

 

そこからは、道ものぼっていきます。

その途中に五重塔もあり…。この日はこのあたりまでにして、また戻りました。

 

その先を登っていくと「鏡池」なのですが…その途中には宿坊があるそうなので…今度はそこに泊まって下から「羽黒山」に登ってお参りし、そして「月山」に登りたいと思っています。

 

五重塔からまた来た道を引き返すとき…そういえば、「白山神社」と書かれたところだけは道沿いから離れ少し斜面をのぼっていかなければならなかったので、そこは寄らずに行きはきてしまいましたが、帰りはやっぱりそこをみてみたいと思って、のぼってみました。

結構急斜面で、雨上りのその日は足元が滑りましたが、少しのぼると、下からは見えませんでしたが滝のみえる場所に「石(岩)」がありました。

…他のところとは違って、ここは祠などはなく…「石(岩)」が丁寧に祀られていたのです。

 

「ああ、これだ!」と思いました。

 

この場所もとても大切なところだと思います。

ここが…昔から祀られていたところなのでしょう。

 

「滝(川)」と「大杉」とこの「石(岩)」…この場所と、山頂の「鏡池」が…「羽黒山」たるところなのだろうと感じました。

 

ここは…縄文時代の頃からの古い祭祀の場所のような気がします。

 

…そこに…「聖徳太子」にかくまわれ「蜂子皇子」はやってきた…。

なぜ、ここだったのか…不思議ですね。

 

でもきっと…何かつながりがあるはずです。

 

聖徳太子」といえば…私には「橘寺」や「川原寺」や…あの辺りの印象なのです。

小学生の頃、奈良の橿原で過ごしたので、明日香も私の遊び場でした。

「甘樫の丘」「鬼のせっちん」「鬼のまな板」「亀石」「猿石」「石舞台古墳」…遠足で行ったり、友達とおにぎりを持って遊びに行ったり…たくさんの思い出があります。

そこに「聖徳太子」の印象も強くあります。そしてそれは…「蘇我氏」でもあるのです。

私の明日香の印象は「蘇我氏」です。蘇我氏が一時代を築いているのは確かです。

…そしてあそこで過ごしたことがある人なら…蘇我氏のことを悪く言う人はいないのではないでしょうか。

 

なんとなく…私の子供心の印象としても…親近感がわくのです。

あの場所で過ごしたことがあるから…きっと体感でわかるのです。

蘇我氏は悪者じゃない…」

 

ああ…だから、「羽黒山」の「須賀の滝」のところの川で…「石舞台古墳」の横に流れていた「川」を、私は思い出したんだ…。

 

蘇我馬子が…ここに「蜂子皇子」を逃がしたの?

でもなぜ、ここだったの?

 

今度こそ、「月山」に登ったら…わかるのでしょうか?

 

長々とすみません。…行きたいと思いながらもこれまでなかなか行けなかったその場所に行って…やっぱり「意味」があったのだとわかった…その興奮が冷めないのです(笑)

 

「東北」という地も…もっと調べてみなければいけませんね。

…私が今、「東北」に住んでいるのも…きっと、何か理由があるのだろうと…勝手に(笑)思っています。