「伊勢の北」と「縦のライン」そして「滝」と「丸い石」
「能登」と「乗鞍」…行ってきましたよ。
なかなか興味深い土地でした。「あ、ここはもっと調べてみたいな…」と思う場所もたくさんあって本当ならもう少し丁寧にみてみたかったんですけど…
子どもや父母も一緒の旅だったので、その私の探求の辺りはあきらめ、今回は家族旅行を存分に楽しみました。
「能登」では川釣りができて小さな魚がたくさん釣れたんですが、その魚をすぐにさばいて囲炉裏であぶって食べさせてもらったんです。美味しかった!その宿のおじさんも話が面白くて、囲炉裏を囲んでみんなでお酒を飲みながら楽しい夜を過ごしました。
雨で視界は悪かったですが「乗鞍」も素晴らしいところでした。標高2700mのところに泊まりましたが、別世界ですね。また今度、晴天の時に、ぜひもう一度行きたいと思っています。
…と、そんななかでも少しは心にひっかかる場所がありまして…メモとして残しておきます。
「能登」ここも古くから大切な場所のように感じました。今回は行けませんでしたが「真脇遺跡」という縄文時代の遺跡があるそうです。
立ち寄った「気多大社」。出雲からやってきたという大己貴命が祀られています。
ここにある「入らずの森」という禁足地のところが…とても気になりました。そこには奥宮とともに3基の円墳があるそうです。
ここは伊勢の真北にあたる場所です。…この縦のラインはとても興味深いです。
そして…その「能登」から「乗鞍」へは山深い飛騨や高山を抜けて行ったのですが…その道沿いは「旧丹生川村」というところで、「乗鞍」への道沿いに川が流れていて、そこに「旗鉾 伊太祁曾神社」という神社がありました。
…そう、実は、以前あるブログのなかで翠榎さんという方とやりとりしていた時に、ほかに飛騨に詳しい方がいらっしゃったのです。その人が気になっていたのがこの神社でした。その時は私がまだ古代史を調べ始めたばかりだったので飛騨のことまではまだたどりついておらず(泣!)でも「きっといずれは飛騨にも繋がって行くと思います」とコメントしていたのですが…なんと、こんなところにあったとは!思いもよりませんでした。
祭神は「五十猛大神」。和歌山にも「伊太祁曾神社」がありますが、「乗鞍」の麓と和歌山はどんな関係があるのだろう?
丹生川村というのだから「丹生都比売」も関係するのでしょう。
「乗鞍」へ行く途中でこんなにいろんなものに出逢うとは思いませんでした。
「乗鞍」へ登るバスの最終もせまっていて時間がなかったのですが、どうしてもここには寄りたいと思って、行ってみました。
川の傍にあるのでこの神社に行くためには下っていかなければならないのですが…それに少し戸惑いを感じました。
「あれ?下っていくんだ」と。
小ぢんまりとした祠とご神木がありました。手前の狛犬のところで子どもたちが「シーサー」「シーサー」といい始めました。「こんな山の中でなぜ沖縄のシーサー?」と思いましたが…これも何かヒントになるかもしれません。
祠のそばの小さな狛犬は…子犬みたいに素朴で…こういう狛犬は伊豆の神社にもたくさんあったなあと思いました。写真で見たことがあります。
…でもその境内では…思っていたより何も反応しなかったのです。傍に流れる川がきれいだなと思うくらいでした。
あれ?他に何もないのかな?
何か自分のなかで期待していたものが…無い感じなのです。
うーん、こんなものだったのかなって、ちょっと残念に思って振り返り、もと来た道を帰ろうとした時に…その先に…みつけたのです!
傍に流れる川のところに一筋の「滝」が落ちていました。
「ああ、ここだ!」
そう…きっとこの「滝」です。それほど多くない水量で、その上に川らしきものも無い感じなので(本当はここ、時間があったならもっと調べたかったです!)、もしかしたら富士の白糸の滝のように伏流水が出ているのかもしれません。
そしてその「滝」の落ちる川のところに、大きな玉子のような「丸い石」がごろんとあって…この石だ!とも思いました。
ここが大切な場所だと思います。
…そして…この場所と「乗鞍岳」は繋がっていくのだと思います。
そんな場所が「丹生」というところとは…驚きました。
「丹生都比売」のルーツはここなのですか?
ちょっとまだ混乱してるんです。まとまらないんです。
後でこの「滝」のことを調べようとしても…どこにも書かれていないのですね。
どうしてなのだろう?昔はなかったのだろうか?
…いやそんなことはないと思います。
「旗鉾 伊太祁曾神社」は…ここにこの「滝」と「丸い石」があるから…この場所だったのでしょう。
でも「五十猛命」は…後からですよね。
…まずここに「姫神」がいたのですよね。
これは、実際に行ってみたからわかったことです。
…やっぱり、その場を歩いてみないとわかりませんね(笑)