機織姫を探して…

今、私はひとりの姫を探しています。 その姫と…私は伊豆の山ですれ違ったようです。 …それからいろいろなことがつながり始めました…

「九曜紋」

しばらく更新できなくて申し訳ございません。

上の子のスポ少野球も佳境に入り…そして夏休みも始まり…自分の時間がほとんどとれません!

…これも後から振り返ればとても幸せな時間を過ごしているのかもしれませんけどね(笑)

 

書きたいことはたくさんあるのです!

…でもまとまらないし…まとめようとするとこんがらがるのでメモ書きなのですが…。

 

話しがいろんなところに飛んでいきます!(大汗)

 

申し訳ないです!

「感性」で書いてますので…。

 

…でも…すべては繋がっていく…はずです(笑)

 

ここまでこのブログを読んでこられた方のなかにも…たぶん…流れがみえてきている方はいらっしゃるような気がします…。

 

今日は「九曜紋」について、感じたことを書きたいと思います。

 

伊豆山神社の神紋は「九曜紋」。

なぜこの神紋なのか。どういう意味があるのか。不思議に思っていました。

 

九曜(くよう)とは、インド天文学インド占星術が扱う9つの天体とそれらを神格化したである。中国へは『宿曜経』などにより漢訳された。

サンスクリットではナヴァグラハ (नवग्रह, navagraha) で、「9つの惑星」という意味である(実際は惑星以外も含む)。部分的に訳して9グラハとも言う。

繁栄や収穫、健康に大きな影響を与えるとされた。東アジアでは宿曜道陰陽道などの星による占いで使う。

九曜のうち七曜は実在する天体で、残りの2つも古代インドでは実在すると考えられた天体である。同じ陰陽道九星は名前は似ているが実在に拠らない抽象概念で、大きく異なる。

 

インドと関わりが深いのでしょうか?

天体をあらわしているのですね。

 

「九曜紋」は、千葉氏や相馬氏や南部氏などの家紋でもあります。

 

…そう…実は…以前私は機織りや染織をするための工房がほしいと思い、家を探していたことがあるのです。

そのときにいいなと思ったのが、直江兼続の時代に川の氾濫をその家の街並みで守った下級武士の家でした。今でも当時の石積みの土台や、いざ氾濫が起こったときには門のところに家の入り口の戸を外して立てて水の流れをせき止める工夫も…その当時のまま残っていました。池では鯉を飼い、栗や柿などの実のなる木を植え、垣根には「うこぎ」という植物を使い…あるものすべてが食料につながるという…そんな家がほとんど当時のままの配置や骨組みで残っていたのです。感動でした!

その家の窓のところにさりげなく彫られていたのが「九曜紋」でした。

その家の持ち主が南部さんという方でしたのでなるほどと思ったのですが…。

 

その家に出逢ったのが年末で…年明けに家を見せてもらう約束をして…私は鎌倉の実家に帰省し…そしてこのブログのはじまりでもある伊豆山神社に行ったのです。

 

年明けにこの家をみせてもらって「九曜紋」をみつけたときに「あれ?伊豆山神社でみた紋と同じだ」と思ったのです。そんな偶然もあって「九曜紋」がとても印象に残っていたのですが…。

 

伊豆山神社に行ってから…私はひとりの「姫」を感応し…古代の歴史を調べ始め…。

そしてあるブログのコメント欄でやりとりしていたときに「赤い石」という話題が出たことがありました。

伊勢族という人たちが持っていたという「赤い石」です。

その時に…私はその「赤い石」は「日の丸の赤い丸の部分」そして「九曜紋の中心のところ」となぜか思ったのです。

すると…その「赤い石」は伊勢族から伊都族の族長に親愛の明石(証し)として渡されたそうなのです。そして渡されたのは九個あったうちの八つだというのです。

…驚きました!「九曜紋」のあの中央の丸と周りを囲む八つの丸…そのとおりではないですか。

 

そしてその、伊勢族と伊都族とのやりとりの場面…。

…それが、私には、あの「和歌に描かれた二人」である「目尻に入れ墨をした勇者と姫」の出会いに重なったのです。

 

そのときに私が書いたコメントです…

「…大切な「赤い石」を渡して、剣を受け取る…この場面、私はどこかで知っている気がします。…入れ墨をした目の青年…その奥に見えたんです…聡明さ、勇気、信頼できる…きっと恋をしたんです。会った時に。そう思います。この二人はとてもうまくいったと思います…。いつの時代なのか、いつの時なのか、わからないですが…その時の心を動かされた気持ちは確かにあったと…私はそう思えます…」

「…でもね、ちょっとよくわからないんですが…「尾張」は「終わり」にも感じるんです…」

 

その当時、こんなコメントを書きました…

ちょっとロマンチックすぎますけどね(笑)

でもそのように感じられたので…そしてこの二人が今の日本の原点となる感じでした…。

 

そんな二人が本当にこのように「愛」から始まっていたのなら…日本はこれからも何があっても大丈夫だ…なんて思ったりしたんですけど(笑)

 

その後になって…だんだんと「赤い石」というのが心の中でひっかかりだしたのです。

本当は「翠の石」ではなかったかと…。

ももしそうだとすると「証し(赤い石)」にはならないのですが…。

 

…そして「青(緑)」と「赤」は「補色」ということに気づき…。

 

…「緑の太陽」につながっていったのです。

 

この場面に何が隠されているのだろう。

何かが私の中で混乱するのです。

 

「目尻に入れ墨のある勇者」と「姫」の出会いがあったことは確かだと思います…。

 

この時にやりとりをしていたのは「翠榎さん」という方。

和邇氏の系統の人だということでした。

とても歴史に詳しくて…そして何より…この方を通して…私の中の記憶が覚醒してくる感じでした。引き出してくれる感じなのです。

 

あるブログのコメント欄でのやりとりだけだったので、その後途切れてしまいましたが…。

なんとなく、いつか…その後で始めたこの私のブログも見つけてくれるような気がしています。

 

そしてその後で…「九曜紋」の中央の丸は、古代鏡の裏の「鈕」の部分にも思えてきています…。

 

…そんな話しもまた「翠榎さん」とお話できると面白いなと思います…。