和歌に描かれた二人
…調べてみると、初島の初木神社には、日向から流れ着いた姫が伊豆山の伊豆山彦に助けられたという伝承があるそうです。
頼朝と政子の逸話があることから…きっとその前にも伊豆山にはそのような恋の話の伝承があったのだろうと思っていましたが…。
…でもなぜか私には、逆に思えるのです。
女系の一族の姫のところに、男の人がやってきたと感じるのです。
その姫が…私が今探している姫です。
そして…その時の様子が…なぜか…古事記に書かれたある文章に出逢った時に「これは…」と重なったのです。
それは神武天皇が即位後、大和で妃を探している時のエピソード。
仕えていた大久米命が伊須気余理比売に天皇の想いを伝えに行った時に、大久米命の目尻の入れ墨を不思議に思った伊須気余理比売が
「あめ 鶺鴒(つつ) 千鳥 真鵐(ましとと) など黥(さ)ける利目 (とめ)」
「アマドリ、セキレイ、チドリ、ホオジロのように、どうして目が裂けて見える入れ墨をしているのですか?」
とたずねると、
それに対し大久米命は、
「媛女(おとめ)に 直(ただ)に逢(あ)はむと 我が裂ける利目」
「乙女に、直々に逢おうと(お目にかかろうと)思って、私の目は裂けるほど鋭く見開いているのです」
とこたえたという…。
この部分を読んだ時…この伊須気余理比売の無邪気さというか素直さまっすぐさがとても可愛く思え、そしてそれにこたえた大久米命のコメントから…大久米命は誠実でユーモアもあり勇敢でとても賢い勇者であることが伝わってきました。
…そして、これはこの二人が恋をしたことを表していると思ったのですが…。
実際は神武天皇と伊須気余理比売が結ばれたときの話だというので…違うのですけれど…。
でも私の中では、この二人のエピソードだと思うのです。
目尻に入れ墨をした勇者と姫の物語。
それが…伊豆山で私が感じた二人にも繋がるような気がするのです。
時代も違うし、場所も違うし、姫の名前も違うと思うのですが…でもこのエピソードは実際にあったと思うのです。
そこには「和歌」の力を感じます。
古事記を書いた人が、どのようなつもりでこの「和歌」を差し込んだかわかりませんが…この「和歌」のなかには真実が込められているような気がします。
時代が経っても…思い出せるように…受け取れる人には伝わるように…そんな想いが込められているような気がするのです。
今でも生き生きと当時の気持ちが伝わってくる感じがします。
「和歌」って記憶装置かもしれませんね(笑)