東北の「女王」…
ここにきて…またいろいろ繋がり出して…戸惑っています。
職場から近いところにある小さな「山」。その「山」のことは以前から知っていたのですが…最近になって、なんとなく気になり始め…
その「山」の東南側の斜面は、なだらかになっているのですが…それがなぜか私には…祭祀のために登っていく道筋に見えてきたのです。
いつもは遠くから眺めていただけだったのですが、初めて「そこへ行ってみたい」と思い、車で行ってみました。
きっと、そうだ…。
でも、まだ登るのはやめて…まわりを歩いてみて…
あぁ、ここは、大切な場所だ…と思いました。
近くにもポコポコと小さな「山」がたくさんあります。古墳なんだなぁと思いました。
そして、ぐるぐると車で周り、眺め(なんだか不審者ですよね(笑)) そして帰り道…
あっ!
小道から出たところに「川」があったのですが…そこに出た途端、「ここは何かあるぞ!」と、急に清々しく…そしてなんとも言えず懐かしいような…特別な場所のような…強烈な印象が飛び込んで来てびっくりしたのです。
帰ってから地図で調べてみると…
なるほど!
あの「山」の私が気になっていた斜面は、冬至の日の出の線と重なりました。
その「山」の頂上には、古墳があるのです。そしてそこからは「女性」の「骨」が出ているのです。
東北の卑弥呼か!なんて、発掘当時は話題になったそうです。
えぇ…でも、本当に繋がるかもしれませんよ。
この場所は…もう少し詳しく調べてみたいと思っています。
「冬至の日の出」なのですが…私は「月」も関わると思っています。
なぜかというと…「十三夜」も関係していると思うからです。
…その「十三夜」が関わる場所に…なぜか「賀茂神社」があるからです。
それは、後からだと思うのですが…そういう祭祀を「賀茂神社」で行っていたのだろうと思うのです。
…そして、私が帰り道に強烈な印象を受けた場所…
それは…地図で見ると、やはり!ここも冬至の日の出の線上でした。
あの「女王」の古墳の「山」からは少し離れていますが…ここも祭祀の場所だったのか? 違ったとしても何か意味のある場所だったはずです。
でもその場所のすぐ近くに、実は…
長井時広という人が神社を建てているのです。
その長井時広とは…大江広元の次男なのです!
あぁ…なるほど…こうして「鎌倉」と繋がるんだ…と、ちょっと私のなかでは、なんとも言えない気持ちです。
なぜ、大江広元の子がここに?…という理由は、あの奥州合戦なのです!
あぁ…こうして「源頼朝」「源義経」「西行」と繋がっていきます…。
私のなかでは…納得…でもあるのです。
その長井時広がなぜここに神社を⁇
…それは…その「山」の上に祀られている「女王」の意味を知っていたから…なのだと…私には、そう思えます。
そしてきっとこの場所は…大切な場所です。長井時広もそれを知っていて…神社を建てたのでしょう。
ここは「葵」とも繋がるはずです。
なんだか支離滅裂ですみません(汗)
えぇ…そうなんです。私のなかでは、全てが繋がっていくからです。
でも、なぜこんな地方の小さな「山」で?
まだ驚いています。
…ここもきっと…最終的には「青い姫」に繋がっていくはずです。
「女王」が眠っていた古墳の他にも2つの古墳がこの山頂にはあるのです。
山頂の「3つ」の古墳…。
もう…今、私の頭の中はぐるぐる状態なのです(笑)
もしかして…「弥彦神社」も…関わってくるのかな…。
そしてこの「山」…私には…どことなく…私が幼少時代によくみていた「畝傍山」にも似ている感じがするのです。
…こんな状態のなか…明日、能「沖宮」を観に行きます…。