「桜」の「杼」
なぜ、私が伊豆山で感応した「姫神」が「機織り」と関係すると思うのか…。
それは私が今、機織りをしているからだといいましたが…その京都へ私が機織りを習いに通い出して…そして…このブログに書くようないろいろな出来事が始まったからです。
こんなこともありました…。
ちょうどその京都の学校通いも終りに近づいたころ、機織りの道具「杼」を買いに、京都の有名なお店に仲間たちと一緒に行ったことがあります。
「杼」とは…織物というのは機に張られた経糸に緯糸を通して織っていきます。その緯糸を収めて経糸のなかを通しやすくする、木でできた機道具です。
そのお店の「杼」は赤樫という木からつくられています。祇園祭の山鉾の車輪にも使われている素材で、密度が高く丈夫だそうです。
私もその「杼」がほしくて、京都に通っている間にそのお店に行こうと思っていました。
その頃…機を織りながら…私はだんだんとこれからのことを考えていました。きっとこれからは染織をライフワークとしてやっていくだろう。
でも、どんな心持ちでやればいいのか迷っていました。
私は機にむかううちに「織るということは『祈り』なんだなぁ…」と思い始めていました。本当にそう思います。
昔の人たちは日常のなかで、家族や自分たちの着る服を織っていたわけですが…健やかにケガもなく無事に過ごせますように…そんな思いが一織りごとに込められていたように思います。…だから、それをまとった人たちは心豊かに健やかに過ごせたのだろうと…そう思います。
「杼」を通してトントンという「筬」のリズムの中で無心になりながら…「織り」というのは特別な時間のように感じます。繭の中に入ったように…包まれた感じがします。
そんなことを感じ始めながら…私は、この私の「織り」を「神」にささげたいと思い始めました。
「神」といっても私の場合の「神」は「自然」です。
大地からいただいたもの…草木という「植物」から色をいただき、それをお蚕さんという「動物」からいただいた糸に染め、「鉱物」で色を定着し…それを「人間の精神」で織りあげる…最上のものにして…そしてまた「自然(神)」に返したい…。そう思い始めていたのです。
すると…。
その「杼」のお店にはたくさんの「杼」がありました。手づくりなので少しずつ形や手触りも違うので、ひとつひとつ自分で確かめながら選んでいきましたが…気に入ったものがありました。少し小ぶりだったのですが美しく何か魅かれるものがあったのです。
「これをください」とその小ぶりの「杼」をふたつお願いしました。
するとお店の方は「それは『桜』なんですがいいですか?」と言いました。赤樫ではなかったのです。このお店で有名なのは赤樫なので…どうしようかと少し考えましたが、でもなぜかその小ぶりの「杼」に魅かれていたので(その「杼」の佇まいが上品で美しかったからです)…「ええ、これをください」とお願いしました。
お店の人は丁寧に包んでくれました。
そうして包みながら…そっとおしえてくださったのです。
…この「杼」の『桜』は伊勢のご神木の『桜』なんですよ。
どうやらこの「杼」は遷宮の時に使われる「杼」と関係があるそうなのです(あまり詳しく書くとご迷惑がかかるかもしれませんのでこの辺りで…)
その出逢いに…驚いたのは私です。
帰ってきて、手元にある「杼」を眺めながら「きっとそういうことなんだ」と…これからこの「杼」で「神(自然)」にささげる織物を織るのだと。そう思いました。
…そして…その年の年末に伊豆山神社に登り…そしてそこですれ違った(と思われる)ひとりの「姫」を探すことになるのです。
きっと…すべては繋がっているのだと思います。